物件名 MH分校
探索日 2008年8月
廃墟開始 昭和50年以前に閉校
分類 教育施設
規模 小規模 3棟

ニコニコ動画 MH分校


僻地には僻地の物語がある。派手ではないし、決して明るい話題ばかりではない。



僻地の教員には手当てが支給されたが、それが見合った金額とは限らなかった。



商店もなく、生活必需品を買いに、教師は毎週末山を越えて買出しに行った。



教材も施設も本校に劣っており、また人間関係も社会の多様性も狭い。



分校という言葉の響きにノスタルジーだけを感じ取るのは片手落ちだが



ノスタルジーとは不便さも含む懐古感とも言える。



狭い地域で人間関係にヒビが入ると、修復や解決は困難で、逃げ出すこともできない地獄。



皆が仲良しとは限らない。憎悪も差別も人間や社会を構成する、現実だ。



愛ある場所には憎悪が、平等ある所には差別が、光ある所には影が、必ずある。



故に女の遠近感は壊れ、どうみてもトランクスであり、靴を履いていない王子が取り囲む。



釣竿という可能性と、年長者が一緒という安心。坊主頭という規制と、大人という先行者。



大人社会に子供は遠慮するという立場。飲み物は大人だけに支給され、正座して聞く。



そんな教育が薄れてきた、「新しい」教科書。影の存在を隠蔽する欺瞞教育の始まり。



算数は変化しないが、国語は変化する。理科は変化しないが、社会は変化する。



「魚」ではなく「およぐどうぶつ」。クジラは泳ぐが魚ではない。人間も泳ぐ。



原始コンピュータ。脳と併用しないと無意味という意味では算盤もスパコンも同じものだ。



僻地という立地は、教師に住込みを強要する。学校という居住空間。住居という教育施設。



改修されるまで電気が来ていなかった。太陽光だけが頼り。蛍雪の功は現代だけの美談。



不便とは相対評価。未来から見れば現代も不便の極み。故に不便とは杞憂。



衛生も相対評価。原始人も健康だった。現代人でも菌だらけ。故に衛生とは杞憂。



牛乳とは、牛の乳を強引に奪って飲むという変態飲料。乳搾りという倒錯行為。



ここから直近の温泉に行くためには、車で20+15+10+40で1時間25分かかった。



教師は学校に住み、日々自炊洗濯した。でも手当ては他所の半分以下だった。



不平はあったろう。でもがんばった。そしてそれももう、とっくの昔の物語。




TELコメント

僻地にある木造校舎の分校です。

木造の物件は現時点に於いて既に手遅れな物が多く、損傷が激しいかもしくは崩壊して
しまって瓦礫になってしまったものが数多いです。
保存云々については言う権利も、またそのつもりも全くありませんが、訪ねた先に
ひっそりと建っている姿を見ると何とも言えない安堵感が胸に広がります。

私個人の思いなどはさておきまして。
当該物件は新築当時、またその後しばらくは無電灯だったそうです。
しかし閉校の頃はさすがに電気が来ていた様で碍子や電気のスイッチがありました。
そんな事を思いながら物件を眺めているとまた感慨深いものがあります。




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